昨夜、オットが入院していた時のことを
ブログに入れたからかなぁ。
車を運転しながら
当時のことを思い出してしまった。
退院を前に、次のことが決まらない。
退院してそれからどうしていいのかが分から
ない。今になって思えば、
そのことを上手く伝えられなかった。
通院はどうするのか? リハビリはどうするのか?家で、どんなケアをしたらイイのか?が分からない。
お医者さんは、「ここに通えばイイよ!」と言ってくれた。
でも、リハビリの先生は
「通われたら、入院患者が困る」と。
先生にそれを伝えると
「意地悪だねぇ。
行きたい病院があったら紹介
状を書くよ」と。
どうも次の病院は自分で見つけるらしい。
同室の患者さんに
リハビリ中心の病院を教わり、紹介状を書いてもらい、予約を取り付けました。
その日は大雨右足には装具が。装具の足に、靴がない。
装具の上から靴を履くことを知りませんでした
し注文もしていませんでした。
その病院は、今はリハビリテーションとして新しく生まれ変わりましたが、
その当時は古くて暗くて天井が染みだらけで、
おまけに暇そうなレントゲン技師と助手の女の人がイチャイチャしてるし・・
もう、第一印象からして嫌でしたね。お医者さんは、感じのイイ先生でしたが、やはり通院だと
月に1回だそうで、それではダメな訳で、ホッとしました。
帰り、オットがお寿司を食べたいというので「元気寿司」へ。
でも、右足はビジョビジョ、左手しか使えないので、左手で食べるのだが、上手く食べられない。
ポトリ、ポトリ、お寿司が床に落ちる。それを拾いながら、仕方がない、仕方がないと。
介護ということはこう言うことだと思い知りました
お寿司を握っていたひとが顔みしりの女性だったので、「大丈夫よ」って。
その優しい女性も、その何年後かに癌で亡くなったとのうわさを聞きました
大雨の中、車椅子を押しながら、泣きそうでしたでも泣きません。
やはり無知だったのですねぇ。今ならこうすればイイということを思い描くことができる。
でも、その頃は、解らないことだらけ。何が分からないのかがわからないので
上手く伝えられなかったのです。
だからでしょうか、リハビリを待つ間の待合室は、家族同志の、情報交換の場になりました~。
病気で倒れた者を介護する家族が無知だと、本人も可哀そうですねぇ。
でも、何もかも初めての世界、手探り状態で少しずつ歩いてきました。
今は、杖だけで歩けるし、なんでも出来る様になりました。
これは本人の努力の結果です