功さん家のブログ

ひとりごと

椿

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 今日の読売新聞の「編集手帳」に、工藤直子さんの「あいたくて」という「詩」を引用して、

「人は、何かをするために生まれてきたとは分かっていても、その‘何か’・・天から授かった使

命が何であるか、分からぬままに生きている・・お使いの途中で道に迷ってしまった子供みたい、

途方にくれている・・」とある。「何をするために、何を伝えるために生まれてきたのか・・?」

と。最後の締めくくりとして「お使いのメモをなくすまい。」とある。

 空からみると、点(ドット)にもならない私たちにも、お使いのメモは渡されているのだろう

か?