今日の読売新聞の「編集手帳」に、工藤直子さんの「あいたくて」という「詩」を引用して、
「人は、何かをするために生まれてきたとは分かっていても、その‘何か’・・天から授かった使
命が何であるか、分からぬままに生きている・・お使いの途中で道に迷ってしまった子供みたい、
途方にくれている・・」とある。「何をするために、何を伝えるために生まれてきたのか・・?」
と。最後の締めくくりとして「お使いのメモをなくすまい。」とある。
空からみると、点(ドット)にもならない私たちにも、お使いのメモは渡されているのだろう
か?